主人に反対され拒否反応が出た上に立ちはだかったのは
義父の病と実父の死であった。
幸いにも義父は手術で前より弱ったものの、通常生活を遅れている。
2018年8月24日、天国に旅立った。
享年73歳。それでも2004年に肺ガンステージ4、余命なし、予後不良から14年
良く生き永らえた
この事自体が奇跡である一方、自分が納得して死を迎える選択肢がないのも日本の現実である
覚悟はしていたものの、喪失感はなかなか埋められなかった
私の父は愚直な人間で80年代から香港、中国、マレーシアに海外赴任し、エンジニアとして現地指導を、行った
その上、独立して、中国と香港でビジネスを始めた。
当時大学1年の私も、香港と日本を半々で過ごすことになり、私の社会デビューは中国企業の立ち上げである。
この経験が私の仕事に対する価値観を大きく影響している。
プロとは何か、日本以外で生きること、ビジネスの罠
全てが今の糧となる
ただ、喪失感がハイヒールコーチとしての道をより遠ざけた